異常な博士の希望 一章 義の心 ⑤

ジャスティムスの中は一面が灰色で、球形のコックピットの壁面には等間隔でモニターのつなぎ目らしい格子模様が張り巡らされている。地面にあたる部分は平面の円型で、盾はその中心にぽつねんと立たされていた。

「君を正式にジャスティムスのパイロットとして登録するために、君の体にナノマシンを注入しなければならないが、いいな?」

密閉されたコックピットの中に、コペルニクスの声が響く。

「なのましん、ですか?」

「同意を求めておいて悪いが、時間がない。詳しい話は後でいくらでもする」

「わ、わかりました。じゃあ、お願いします」

「ちょっと痛いぞ」

言うが早いか、コックピットの頂点部分から棒状の怪しげな装置が動き出し、その先端のアームが盾の首につかみかかった。盾がなにか言葉を発するよりも早く、アームに内蔵されている注射針が盾の皮膚に突き刺さり、ナノマシンを注入した。盾が痛みを訴える暇も与えないほどの迅速さで、事は終わってくれたようだ。

ナノマシンの注入を終えると、アームは頂点部分へと格納されていった。

「……よし、これでパイロット登録は完了した。さあジュン・キドウ、ジャスティムスを起動させよ!」

「ど、どうやれってんです? 起動の仕方なんて……」

「分かるはずだ。君の脳にまで生き渡ったナノマシンに保存されてある情報が、君にそれを教えてくれている!」

「……! はい、今、わかりました!」

それは夢の最中から目覚めるように無意識のやり方で、盾自身はどうやったのか正確には認知することができていなかった。ともあれジャスティムスは起動し、コックピットの壁面が光を灯し、一斉に外部の映像が映し出されていった。

ジャスティムスは重たげな挙動で機体を校舎から起き上がらせて、その二本の足でしっかりと立ち上がる。ここにきてようやく、衝突して教室を半壊させたのはこの人型の背中にあたる部分だと見知ることができ、見る者にその全貌を明らかにさせた。

その出で立ちはまさしく中世の騎士が着込む甲冑のように鋭利で洗練されている。フルフェイスを想起させる頭部には一本角が天に向かって伸び、胸には巨大な五角錐形の装甲、直方体の肩アーマーから延びる腕は長く、その肘には廃熱口らしきスリットを有したでっぱりがある。

全体が片刃の剣のような形状の脚部には小さく、しかし必要十分な足が地に立ち、足首の部分には別にジョイントがあって、そこからはさらに長大な刀剣を模したパーツが斜め上に伸び上がっている。盾はそれが、剣の形をしたスタビライザーなのだと理解している。

細くしなやかでいて、力強く雄々しい。まさしく剣のようなフォルムは正義を顕すモニュメントとなって、今、悪なるビーバッサ・デスネスを断ち切らんとして臨戦の構えをとる。

今まさにジャスティムスをデスネスのもとへと飛翔させんとしたその時になって、盾は自らが置かれている状況に気が付いた。

「う、浮いてるっ……!」

盾は今、コックピットの中空に文字通り浮遊していた。そのことに盾がすぐさま気が付けなかったのは、ちゃんと地面の感触を感じられていたからだ。今もコックピットの中空であるのに、足の裏には自身の体重を支えてくれる力の存在を感じられている。

驚く盾に仕方なく、コペルニクスが口をはさむ。

「ジュン、ナノマシンによる理解が遅れているようだから簡潔に説明する。ジャスティムスをはじめとしたヴィーラ・マキナはエーテル・エネルギーと呼ばれるエネルギーで動いている。これは人の感情、思惟から発する粒子を特別なやり方でエネルギーに転じたものだ」

「人の感情が、エネルギーに?」

「そうだ。ジャスティムスは君から発したエーテル粒子を増幅し、エネルギーとして起動し、フレキシブル性の高いエーテル・エネルギーの斥力を利用して君は今コックピットの中で浮かび、行ってみれば君はジャスティムスと一心同体の関係になっている」

「この機体と一心同体……」

ジャスティムスは君の一挙手一投足を完璧に投影して動く。私は君の力は知っているつもりだ。さあ行くんだ! 戦いの中で理解を進ませるしかない状況だ!」

「は、はいっ!」

盾はジャスティムスを、空中戦を続けているデスネスとモラリニティへ向けて飛び立たせた。初めて空を飛んだ鳥が以降は飛び方を忘れることがないように、ジャスティムスはまっすぐにデスネスと、満身創痍のモラリニティのもとへと迫っていく。

「……なんだか下でごちゃごちゃやっているようだがね、これでお終いさ。モラリニティの!」

デスネスがとどめの一撃をモラリニティへと振り下ろす。デスネスの攻撃による衝撃で損傷したモラリニティのコックピットの中で傷だらけのスズは眼をつむって無念を思い、大した戦いができなかったことを心の中で誰ともなく謝っていた。

「させないっ!」

デスネスのギロチン・ブレードがモラリニティの額に接触しようという刹那に、間に合った。ジャスティムスはその拳をデスネスの右手に打ち付けて、彼女の機体を跳ね飛ばしていた。機体のあちこちに痛々しい切り傷を彫られているモラリニティの前に立ちふさがり、ジャスティムスは何か、武道の型のような構えをとる。

ジャスティムス……! だ、誰? 乗っているのは……!」

「スズさん、でしたね? 僕は頼りないかもしれないけど……助けに来たんです!」

面食らった表情のスズにそう答えながら、盾は(この構えはなんだ……? 僕はこんなの、知らない筈なのに)と疑問に思ってもいた。

「おやおや……ナイトの登場というわけかい。しかしねぇ、アンタ、ジャスティムスに乗るのも初めてなんだろうにっ!」

激昂したオーメンはデスネスにギロチン・ブレードを両手で持たせて、武器も何も持たず無防備にしか見えないジャスティムスへと突貫する。

ジャスティムスは微動だにしない。デスネスは今度こそ獲物を仕留めんと嬉々としてブレードを振り下ろす。スズは目前でジャスティムスが切り落とされようというこの状況に、悲鳴を上げた。

しかしデスネスは、ジャスティムスの側面を通り過ぎていた。血気にはやる攻撃が拙く、外れてしまったのか? 

そうではなかった。しかしオーメンもスズも、盾自身ですら、何が起きたのかを理解できていなかった。

「な、なんだっ? どうなったって……!」

困惑を隠すこともできないままにオーメンは再びジャスティムスへと振り返り、切りかかる。

今度は三人の目に、いったい何が起こっているのかを視覚することができた。ジャスティムスは、デスネスの攻撃を受け流して躱していたのだ。攻撃の支点と力点、そして作用点を完全に熟知しなければ成せないと思える目にもとまらぬ流麗さで、盾はその「技」を行っていた。

「こ、こんなの、僕がやれる筈ない……! こんなの覚えてないのにっ!」

デスネスの攻撃は一向に直撃する気配がない。彼女の機体のいかなる攻撃ですら、ジャスティムスは「技」と見える動きによって受け流している。盾はこの状況に困惑するしかない。彼自身こんな技など知らないし、思い出せもしないのだ。しかし彼の体は脊髄反射的にデスネスの攻撃に対応する四肢の動きを顕していた。

盾の頭が思い出せなくても、彼の体に刻まれた記憶は消えていなかったのだ。

「どういう……! なんだってんだ、アンタは……!」

喚くオーメンをよそに、ジャスティムスはカウンターとして裏拳をデスネスの腹部へと直撃させていた。しかし、威力が弱い。恐れ惑いながら戦っている盾の拳には、勢いと威力が宿っていない。

「こ、攻撃! 攻撃をしないと……! で、でも攻撃なんてどうやるんだっ?」

受け流す防御の形ばかりを思い出す自身の体に苛立ちと焦りを覚えていても、彼の肉体は何も答えてはくれない。いまだにデスネスの攻撃の機先をそらしているだけで申し分程度のカウンターしか繰り出せず、デスネスの機体に満足なダメージを与えられているとは見えなかった。

そんな状況に、コペルニクスは焦れた。

「あれではいずれ疲弊してしまうぞ……! こうなれば、一転集中でエネルギーをデスネスにぶつけて、奴を撃退するしか手はあるまい……そのためには!」

コペルニクスは教室の穴の淵から天を仰いで、ジャスティムスとモラリニティに向かって言い放った。

「ジュン、スズ! 二人のエーテル・エネルギー・ビームを重ね合わせて、デスネスにぶつけるのだ!」

戦闘の真っただ中で、盾は悲鳴をあげるように、

「エネルギー・ビームをっ? 初めてなのに、できるっていうんですか!」

「初めてだから、これぐらいしか有効な策が立てられんのだ。エネルギー・ビームは撃てるな?」

「……やってみます!」

言うが早いかジャスティムスはデスネスを足の裏で蹴り、押し飛ばして、モラリニティのそばへと飛んだ。状況を理解していたスズのモラリニティは、すでに胸の前で祈るように手を組み合わせて、ビームの射出体勢をとっている。

ジャスティムスは拳を目の前に突き出して合わせ、水平になるように横に寝かせて指を開き、静かに腰を落としていく。

(エネルギー・ビーム……こういうことか。意識を指の先々に滲ませるよう集中して……放つ!)

奇跡的にか、それともスズの息を合わせる技術の高さか、ビームを打ち放つタイミングがぴったりと一致していた。モラリニティからは薄緑色の光の奔流が、ジャスティムスからは鮮やかな真紅の光の渦が、吹き溢れていた。

放たれたビームは空中で重なり合って干渉し、増幅させながら、空間に膨大な熱と光のエネルギーを散逸させつつもデスネスへと向かっていく。

「な、何っ……! これが、エーテル・エネルギーの力かっ……!」

オーメンの声が巨大な光の激流の中に飲まれて、悲鳴へと化していった。エーテル・エネルギー・ビームを吸収するデスネス自慢のアブソープション・マントもこのエネルギーを吸収しきれずに吹き飛ばされ、デスネスは自身の両腕を眼前に交差して防御するほかになかった。

しかし、これでもデスネスを消滅させるのには至らなかったらしい。エネルギーの半分以上をマントに吸収されていたため、デスネスの機体はその両腕をもぎ取られる損傷を受けたとはいえ、コックピットのある胸部は健在で、二本の鉄柱のような脚部、そして白い布で覆われた禿頭もまた無事だった。

それでも、この損傷ではもう継戦はできない。その上、オーメンは恐怖していた。

初めて乗ったパイロットを有するジャスティムスと、戦闘タイプではないモラリニティが力を合わせてこのように強力なエネルギーをぶつけてきたのだ。彼女はいわばエーテル・エネルギーの可塑性、そして「可能性」に恐怖をしていたのだ。

「ッ……クソォッ……私は恐れているんじゃないっ! 勘違いしてもらっちゃ困るんだよッ! お前たちが強いからじゃない、二対一だから、撤退するだけさ……!」

幼稚な強がりを捨て台詞にして、デスネスはその場から逃げていった。自衛隊がその初動に走る間もなく、状況は収束していった。

「なんとか、逃げてくれたか……危なかった。あの状況で、あのオーメン・ポライトが気を違えて『あれ』を発動するような行動に出ていれば、我々は……」

コペルニクスがつぶやくと、モラリニティは力尽きて浮遊の姿勢を崩し、墜落しそうになっていた。咄嗟にジャスティムスが受け止めていなければ、校舎と教師、生徒たちにさらなる被害が及んでいたことだろう。